私は、自分で自分の気持ちを満たすのは惨めだと本気で思っていました(笑)
- 誰も私に優しくしてくれる人がいないから、自分で自分に優しくするしかない惨めな人。
- 誰も私のことを心配してくれないから、自分で自分を心配するしかない可哀想な人。
- 誰も私を愛してくれないから、自分で自分を愛するしかない哀れな人。
- 誰も私を大切にしてくれる人がいないから、自分で自分を大切にするしかない価値のない人。
こんなことを本気で思っていました。
だから、
- 「誰か」に優しくして欲しかったし
- 「誰か」に心配して欲しかったし
- 「誰か」に愛して欲しかったし
- 「誰か」に大切にして欲しかったんです。
そのために「引き寄せ」や「溺愛される」や「奇跡」が必要でした。
本当に望んでいたことは、そこには無かったことに気が付いたのは、惨めな気持ちで泣きながら毎日自分の気持ちに素直になった、ずっとずっと先のことです。
「私の周りに居てくれる人たちは、私の願いを叶えるための道具じゃない」と潜在的に気が付き、本当の意味で感謝が生まれるようになったのは、「自分で自分を満たす」ことをした先のことでした。
やっぱり世の中は、受け取るだけでは成り立ちません。
受け取ったものは、何かしらの形で循環させる必要があります。
その循環を作り出すには、まずどんなに惨めでも「自分で自分を満たすこと」が必要不可欠です。
ここが出来ない状態で、誰かに頼ったり甘えたりしても現実は何も変わりません。
周りの人は、自分の心の隙間を埋めるために存在しているのではないと、体感レベルで気が付くことが必ず必要となりますよ。